2016年11月9日に発売された16th シングル「サヨナラの意味」
この楽曲でセンターを務めた橋本奈々未は乃木坂46としての活動を終え、ファンにとってもメンバーにとっても大切な楽曲です。
乃木坂工事中で放送されたファンが選ぶ乃木坂46ベストヒットランキングでは1位になるほど、人気な曲です。
そんな「サヨナラの意味」ですが、MVがものすごく奥深いストーリーになっています。いい意味で、アイドルらしくないMVになっており、ストーリがかなり練られおり、考えさせられるMVになっています。
僕自身初めて見たとき、内容の意味がわからず、「ぽかーん」としていました。でも、僕なりに解釈してみると感動させられるMVだと気づきました。
この記事では、そんなサヨナラの意味のMVを僕なりに解釈・考察してみました。
ストーリーの概要
ストーリーの概要は、MVの冒頭部分で以下のように説明されています。
人と棘人両者の代表がひと月の稽古期間を経て式日を迎える
出典:乃木坂46「サヨナラの意味」MV
式というのは「棘刀式」(後で説明しています)のことです。両者の代表者は、人側が西野七瀬、棘人側が橋本奈々未です。この二人が式に向けて稽古を行う中で、想いや悩みを抱え、それを抱えたまま式日を迎えるストーリーとなっています。
棘刀式とは?
MVの冒頭で重要キーワードとなる「棘刀式」についての説明がされています。
「棘刀式」
身体に鋭いトゲを持つ人々「棘人」のトゲを切り落とす伝統儀式
出典:乃木坂46「サヨナラの意味」MV
そして、棘人である橋本奈々未の父を演じる嶋田久作さんが棘刀式の説明を次のように話していました。
「かつてこの村で争われた私たち棘人と人が共に生きていくことを誓ったその契りを忘れぬための儀式」 出典:乃木坂46「サヨナラの意味」MV
人と棘人
嶋田久作さんが言ったように、人と棘人は以前対立していました。橋本奈々未の家の襖絵には、人と棘人が争っていた様子が描かれています。(左が棘人、右が人)
そして、その名残は少なからずまだ残っていると考えられます。生田絵梨花と高山一実(二人とも人側)が橋本奈々未を襖を少し開いて覗いたときに「なんか、やばい」といったり、桜井玲香(人側)に白石麻衣たち(棘人)が誰か尋ねられた時に「あの、人たち」と説明する言動、西野七瀬が橋本奈々未と握手することをためらう姿から、人と棘人はまだ和解しておらず、隔たりがあると考えられます。そして、それは人が棘人よりも優位に立っている構図だと考えられます。
下はMVのシーンの一部であり、掲示板に「棘人危険」と書かれた張り紙が掲示されており、明らかに棘人を悪いもの扱いしていることがうかがえます。そもそも、棘刀式が棘人の体の一部であるトゲを切り落とすという残虐な儀式です。そのため、この儀式は人が棘人の体の一部分を切り落とすことで、人が優位に立っているということを見せしめている儀式なのではないかと思われます。
しかし西野七瀬は、「棘人とネコ」を常に愛読していることから、棘人のことを悪く思わず、理解したいと思っていると思われます。
稽古中に起こった出来事
ここからは、棘刀式の稽古中に起こった重要なエピソードを紹介します。
齋藤飛鳥が西野七瀬を傷つける
稽古中に堀未央奈(人側)が稽古風景をビデオで撮ったところ、橋本奈々未の妹役の齋藤飛鳥(棘人側)ともみ合いになりました。それを止めようと、西野七瀬が仲裁に入ったところ、齋藤飛鳥の棘が西野七瀬を傷つけてしまいます。
絆創膏
妹のせいで傷ついた西野七瀬のために、橋本奈々未は絆創膏を渡します。そのお礼を西野七瀬が伝えたとき、西野七瀬が持っている本「棘人とネコ」と橋本奈々未が持っている本をお互い交換します。おそらく、二人の本の表紙が似ていることから、作者が同じなどの関係があり、そこから交換しようという流れになったと思います。
怒る父親
西野七瀬と交換した本を読んでいた橋本奈々未に対してその父親である嶋田久作さんが怒ります。ここでなぜ怒ったのか考えてみようと思います。
おそらく嶋田久作さんは、今ある人と棘人の関係性(人が棘人より優位に立っていること)や棘刀式に納得がいっていません。そのため、人が憎いと思っています。それなのに、娘である橋本奈々未が人と仲良くして本を交換し、それを読んでいる姿に腹を立てたのではないかと思います。
帝都ユキの切符
西野七瀬は、橋本奈々未と交換した本の間に「帝都ユキ」の切符が挟まっていたことに気が付きます。
一人で泣く橋本奈々未
父親と喧嘩した後、雨の中家を出て、一人で泣いていました。
そもそもなぜ橋本奈々未は泣いたのでしょうか?
西野七瀬と本を交換する前に、橋本奈々未が読んでいた本は、絵をみたところ(絵の説明は後でします)、人と棘人が仲良くするする世界が描かれた本でした。人と仲良くする自分自身(棘人)を、父親に怒られたことから、誰も自分のことを理解してくれず、人と棘人が共存する世界が作れないのではないかと思い、一人で泣いたのではないかと思います。
雨の中外を歩く橋本奈々未を見た、西野七瀬は、橋本奈々未を追いかけました。
追いついたところ、橋本奈々未が一人で泣いている姿を目の当たりにし、自分にできないことはないかと考えます。
棘刀式当日
棘刀式は、人が棘人のトゲを刀で切り落とす儀式ですが、西野七瀬は橋本奈々未のトゲを切り落とす寸前で思いとどまります。
そのあと、橋本奈々未から借りた本に描かれた絵を思い出します。
それは人と棘人が手を取り合っている姿です。西野七瀬もそういう人と棘人が寄り添う世界を望んでいたのでしょう。
その後、橋本奈々未の顔を隠した紙の飾りをとり、紙ヒコーキを飛ばします。これは、「こんな棘刀式なんて、やめよう」という態度の表れですね。
そして、橋本奈々未と手を取り合って、棘刀式を放棄します。おそらく、この放棄が人と棘人の関係を変え、平等に共存していく世界を作っていく、最初の一歩だと思います。(僕の想像です)
橋本奈々未はどこへ?
棘刀式を終えた後、西野七瀬は再び橋本奈々未の家へ行きます。棘刀式を終えたのに再び橋本奈々未に会いにゆくということは、二人の関係は深まり、友達になったのではないかと思います。
橋本奈々未を探す西野七瀬は、襖を覗きます。始めは、橋本奈々未の姿が映し出されたけれども、視線をそらした後、橋本奈々未の姿がなくなっていました。
おそらく、始めに見えた橋本奈々未は西野七瀬が作り出した幻想で、実際にはどこか旅立ってしまいます。どこかというと、帝都ですね。橋本奈々美から借りた本に挟まれた帝都ユキのチケットを考えると、橋本奈々未の帝都へ行きたい意志がうかがえます。
でもなぜこのタイミングで帝都に行ったのでしょうか?
棘刀式では、西野七瀬と手を寄り添い、人と棘人が隔たりなく共存する世界が垣間見えました。西野七瀬とも仲良くなったのになぜこのタイミングなのでしょうか?
乃木坂46の橋本奈々未も乃木坂46が人気絶頂を迎える直前の時期に卒業しました。乃木坂としての橋本奈々未と棘人としての橋本奈々未は似たような時期に、これから好機を迎える頃にメンバーや友と別れを告げます。
橋本奈々未の卒業理由の一つとして、「好きなように生きる」がありました。なので、棘人としての橋本奈々未も帝都で好きなように生きたかったのではないかと思います。
最後に
以上が僕なりに解釈した「サヨナラの意味」でした。あくまで、僕自身の解釈ですので、参考程度に見ていただけると幸いです。
橋本奈々美が乃木坂46を卒業発表をして、2年ほど経ちましたが、彼女の存在は消えるどころか、ファンの心に強く残り続けています。今、どこで何をしているかわかりませんが、ななみんが好きなように生きていることを願っています。
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